創業時の思いと笑い話
当社(株)リンクスは、1993年(平成5年)7月14日 境港市に総合建設業として設立創業致しました。
この年の話題を書き上げて見ますと、まず宮沢内閣から細川非自民連立政権へと移り変わったことで自民党の55年体制が終局を迎え、バブル崩壊後の日本の将来に誰もが不安を抱きはじめ「失われた30年」とも言われる時代への入口だったように思います。
そして、明るい話題と致しましては、皇太子様と雅子様がご成婚をなされ多少経済が潤う中、スポーツ界では松井秀喜選手が巨人軍に入団したことやJリーグが誕生したことも大きな話題となりました。 また、新たな拠点となる境港市では、まず漁獲高が5年連続日本一を継続中であり、水産加工場や冷蔵庫等が建設ラッシュで水産業界が活況な時に、竹内工業団地に於いては平成9年から始まる夢みなと博覧会の開催準備でそれ以上の賑わいを見せ、さらに商店街では23体の妖怪ブロンズ像を設置した水木しげるロードがオープンをするなど、心配していた不況感など全く感じる余地もなくとにかく慌ただしく街中が潤っていたことを思い出します。
このような時代を背景にこの場所に拠点を構え、友人、知人、協力業者等の方々からの支援を頼りにいくら駆けずり回っても、既に馴染みの業者がいるところへ「知名度も実績も無く」ひたすらお願いに来るだけの業者など、工事の発注どころか指名にも入れてもらえず、時には安くても断られ「千辛万苦」の続く状態でした…が、今思えば当たり前のことでありまさに笑い話であります。その様な中で僅かな工事でも受注すると少しでも付加価値を高める為に、まず、工事の一部を自社施工できる様、重機、ダンプ、各種工具類等の設備投資と若干名の技能工を揃え、それに資材及び残土置き場兼加工場を整備致しました。 そして、住宅の基礎工事や浄化槽布設等の建築付帯工事を中心に本業の傍ら順調に推移しだして間もなく、2000年(平成12年)に鳥取県西部地震が発生し、被害にあった建物の解体、片付けをはじめとする災害復旧に貢献できましたが、2004年(平成16年)頃から元請工事が安定をしだすと、技能工を本業にシフトさせ人手不足の解消を図りましたが、その頃から重機関係の修理代も負担になりだし直営工事を廃業することに致しました。それ以降は、県、市町村、各種団体等からの入札参加の資格もできましたが、あくまでも民間工事を主体として現在に至っております。
これまでの生業から生きる厳しさを知るには、十分な経験を積んだことが「礎」となり、決して「後悔することのない歴史」を刻む為に、「信条」、「理念」を「心得」として掲げ、仕事で「お客様に喜びを与える」ことが「人との縁」の始まりであり企業と己自身の「名声をも高め」、そして、企業力のすべてを投入し「利益の捻出」を実現することで、初めて「社会に貢献」ができ「地域社会から必要」とされる「地元企業」として「存続」できるものと信じ、毎年はじまる4月1日の新年度には「工事件数を第一目標」に掲げさせ、お客様を「増やすには、まず失わない」ことが大原則であることを諭し今に至っております。 そして、何より当社の一番の強みは創業期に入社をし、20年以上勤めた「士気の高い社員」が全社員の半数以上残っているところにあると思っております。今後は、新社長に委ね次の時代に見合ったやり方で更なる成長と進化を目指して欲しいと思います。これまで我社を支えていただいた多くの皆様に改めて感謝を申し上げますと共に今後とも変わらぬご愛顧の程よろしくお願い申し上げます。・・・云々(深謝)

代表取締役会長 池田 幸仁
30年の総括
現在は、過去の結果であり将来への通過点であるとすれば、やるべきことは手段も戦術も同じで良いが、今までやってきたことを更に迅速、丁寧に熱い思いを持って一生懸命やり続ければ良い。
この思いがある限り成長と進化が止まることはない。
創業時から継続しているもの
教育支援金
社員のお子様が県外の高校に進学した際や、短大・大学に進学した際に、卒業するまで毎月教育支援金を送っています。





ご家族への誕生日プレゼント
社員のご家族様へ日頃の感謝を込めて誕生月にプレゼントを贈っています。

リンエイ会ボランティア清掃
リンクスとリンエイ会(協力業者)による清掃活動を行っています。
早朝より多くの協力業者やそのご家族が参加して、美保展望駐車場近辺の海岸をきれいにしています。


クリスマスケーキの贈呈
地域貢献活動の一環として、お世話になっている施設にクリスマスケーキの贈呈をしています。

社員研修
年に一度、国内外問わず社員全員で行きます。その土地のものを肌で感じながら、楽しみます。

